2023年はバスケットボールのW杯が日本でも開催され、日本代表が活躍したことにより、バスケットボールの日本での注目度も上がっているのではないでしょうか。今年開催予定のパリ五輪にも出場を決めているため、五輪の舞台で日本代表がどんな活躍を見せてくれるのか、今から非常に楽しみにしています!
個人的にはBリーグやNBAを観ており、他のスポーツにはない躍動感やスピード、ゲームの流れなどを感じることができ、大好きなスポーツの一つです。しかし、そういえばバスケっていつから誰がどこでやってたの?と思うと、何も知らないなと思い、今回はバスケの歴史を調べて記事にしてみました。物事の歴史を知ると、また違う側面が見えてきて面白いなと思うことがあるので、新たな側面の発見に役立てばいいなと思ってます。
バスケットボールの生みの親はどんな人?
バスケットボールの歴史を調べると、スポーツの歴史としては非常にめずらしいことに、生みの親として一人の名前にたどり着きます。そのかたは、カナダ人のジェームズ・ネイスミスさんです。
ジェームズ・ネイスミスさんは、1869年にカナダのオンタリオ州で誕生された方です。牧師になるために22歳でマッギル大学に入学しましたが、大学でアメリカンフットボールに出会ったことをきっかけに、スポーツに熱中し始めます。大学卒業後も牧師の資格取得のための活動を勧めましたが、スポーツ活動にも力を注ぎ、「スポーツで若者をいい方向に導ける」という信念を持つようになりました。そして、牧師の資格を授与された後に、国際YMCAトレーニングスクールに進学しました。
この、ネイスミスさんが進学した国際YMCAトレーニングスクールは、イギリスのロンドンで生まれた非営利公益団体のYMCAが、スタッフの育成目的として設立した、主に社会体育・スポーツ施設の役割を担う学校でした。ネイスミスさんは、1891年にこの国際YMCAトレーニングスクールを卒業し、インストラクターとして採用され、当スクールにて心理学や聖書研究、体育実技の指導にあたる体育部教官となりました。
バスケットボールは、ネイスミスさんが体育部教官だったときに考案したスポーツです。
バスケットボールはどうやって生まれた?
アメリカの国際YMCAトレーニングスクールの体育部教官だったネイスミスさんは、冬季の屋内ゲームを考える中で1891年にバスケットボールを考案しました。
当時は、国際YMCAトレーニングスクールでは、冬季の屋内プログラムは体操中心であり学生の意欲が低く、楽しめて競技的要素をもつプログラムが求められていました。そうした事情の中、冬季に屋内で行えるスポーツの創成が急務とされ、その役目を任命されたのがネイスミスさんでした。最初はアメリカン・フットボールやサッカー、ラクロスなどを屋内ゲームとしようとしましたが失敗。ボールを使用しつつ、ゲーム中の安全性を高めるために競技者同士の身体的接触を少なくすることを考え、1891年にネイスミスさんが考案したのがバスケットボールです。
バスケットボールを考案する際には、ネイスミスさんが少年時代をすごしたカナダのオンタリオ州での遊び「雄鴨落し(Duck on the Rock)」(鬼ごっとと的当てを組み合わせた遊び)からヒントを得て、ゴールをプレーヤー頭上に水平設置することにしたようです。
ネイスミスさんが最初に考案した13のルールは現在約250にまで増えていますが、ゲームの形式は基本的にほとんど変化していません。
バスケットボールはどう発展した?
初めてのバスケットボールの試合は、1891年に国際YMCAトレーニングスクールで行われました。その試合は18人の学生を9人に分け、9対9で、サッカーボールを使用して行われたようです。ネイスミスさんはゴールとして45cm四方の箱を想定してましたが、用意できなかったために、かわりに桃を入れるカゴを体育館のバルコニーに設置してゴールとしました。フロアの広さはおよそ11m×15mの大きさだったようです。
このときのゴールの高さ10フィート (3.05m)は変更されることなく現在に至っているようです。すごいですね。そして、ゴールとして桃を入れるカゴを使用したことから、「Basket ball」と名付けられました。そして1921年に公式に一語で「Basketball」となりました。
この世界最初の試合の18人の中に実は日本人の方がいらっしゃいました!当時留学中だった石川源三郎さんで、石川さんは当時の試合の様子をスケッチで残したりしています。
ネイスミスは、当初の想定では両チームが同人数であれば何人でもよいと考えており、ルールの中にプレーヤー人数を規定していませんでした。そのため、面白いことになんとコーネル大学では50人対50人の試合が行われ、担任のE・ヒッチコック先生が「体育館が破壊されかねない」と述べる試合ともなっています。プレーヤー人数については、その後徐々に制限され、1894年には、フロア面積に合わせてプレーヤー人数は5人、7人、9人とされることになりました。現在のようにコートの大きさやプレーヤー人数が確定したのは1897年のことです。
バスケットボールのゴールとして使われた桃の籠は壊れやすかったため、金属製の円筒形ゴールにすぐに変わったようです。また、シュートが決まるたびにはしごや棒で取り出していたようで、だいぶ効率はわるかったんだろうなと想像できます。ゴールの形状は徐々に変化し、今のネット状で底に穴があいているゴールの形状になったのは1912年から1913年にかけてとのことです。リングの内径の45cmが最初の試合から全く変わっていないのもすごいですね。
また、バスケットゴールに当然のようにつけられているバックボードにも歴史があります。
バスケットボールは熱狂的な人気を博すようになりましたが、観客がバルコニーの手すりや欄干から足や手を伸ばしてゴールを妨害することが頻発したため遮蔽物が設けられるようになりました。当初は金網で、1904年から木板に変わりましたが、観客から試合が見えないとのクレームが次々と起こり、現在の透明なプラスチック板が用いられるようになりました。バックボードの位置は当初はエンドライン上にありましたが、ゴールが61cmコート内側に移動することになった際にバックボードもそれに伴ってゴールと一体となってエンドラインより内側に配置されることになりました。バックボードができたことにより、バンクシュートやレイアップなど様々なシュートの形が生まれてきて、現在のバスケットボールへと発展してきたんだそうです。私もバスケをやっていた頃は、バックボードをつかってのシュートに色々チャレンジしましたが、こんな歴史があったのは知りませんでした。
バスケットボールは当初から人気があり、女子バスケットボールが始められるなど、その年のうちにアメリカ国内のあちこちで競技されるようになり、国際YMCAトレーニングスクールを通じ世界各国へ急速に広まりました。1904年にはセントルイス五輪でデモンストレーションスポーツ(標準的なメダル競争の一部ではなく、その普及を目的として行われるスポーツ)として開催されます。1932年には国際バスケットボール連盟(FIBA。Fédération Internationale de Basketball Amateur)が発足し、1936年のベルリン五輪から遂に男子オリンピック正式種目に採用されました。女子についても、1976年のモントリオール五輪から正式種目に採用されています。
また、1950年には、初めてのバスケットボールのワールドカップ(世界選手権)がアルゼンチンのブエノスアイレスで開催されています。
アメリカ国内では、1946年に男子プロバスケットボールリーグBAA(Basketball Association of America)が創設され、その3年後にNBL(National Basketball League)と合併し現在のNBA(National Basketball Association)が誕生しました。1967年にABA(American Basketball Association)が対抗リーグとして発足しましたが、1976年には消滅し、NBAは世界最高峰のリーグとして今も君臨し続けています。そして1996年には女子プロバスケットボールリーグのWNBA(Women's National Basketball Association)が設立されました。
1998年には世界のバスケットボール競技人口が4億5000万人に増加しており、近年のバスケットボールの国際化は急速に進んでいると言えます。
バスケットボールは日本でどう広がった?
バスケットボールは日本語で籠球(ろうきゅう)とも呼ばれます。これは最初にカゴを使っていることに由来しています。
日本にバスケットボールが伝わったのは1908年で、国際YMCAトレーニングスクールの卒業生である日本人の大森兵蔵さんという方が日本にバスケットボールを広めました。
1924年にはいくつかの大学が全日本学生籠球連合を結成し、日本各地で対抗戦が開催されるようになり、1930年には大日本籠球協会が設立され、1976年に法人化により財団法人日本バスケットボール協会(JABBA。Japan Basketball Association)が設立されました。バスケットボールの日本リーグは1967年に「全国実業団バスケットボールリーグ」として発足しています。
2005年には日本初のプロリーグ「bjリーグ」が遂に設立されましたのですが、日本のバスケ全体の発展や強化が迅速でなく、国際大会では苦戦を強いられます。また、2013年にナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)を設立するなど、『国内男子トップリーグの統合』・『ガバナンス能力に欠けるJBAの改革』・『日本代表の長期的な強化策』の問題が指摘されたものの解決できず、FIBAから資格停止処分を受けてしまいます。2015年にはFIBAが日本の無期限国際試合出場停止処分の解除を決め、今に至ります。プロリーグを発足したものの、様々な要因によりだいぶ混迷していた時期があったようですね。
そして、2016年にようやくNBLとbjリーグが統合した新リーグのジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)が開幕します。
女子は、1967年にバスケットボール日本リーグの女子の部として設立され、1996年にバスケットボール日本リーグ機構(JBL。Japan Basketball League)に主催を移行、1998年から女子のリーグを専門に扱う主催団体であるバスケットボール女子日本リーグ機構が設立されます。そして現在では実業団リーグとしてWリーグ(W LEAGUE)が開催されています。
日本では多くの学校、企業、サークルでバスケットボールの活動があり、それぞれ全国規模の大会が毎年行われていますが、公式試合ができる環境が整っている場所は他国に比べるとまだまだ少ないと言えます。バスケットLIVEなどで視聴できるようになったものの、地上波での試合中継も多いとはいえず、人気を考えるともっともっと発展して良いスポーツだと感じます。
まとめ
一人のカナダ人の体育教官が考えたスポーツが、現在様々な国でいろんな年代の方が楽しめていることを考えると、とても感慨深いですね。
女子日本代表が五輪で準優勝したり、男子が五輪出場のチケットを自力で勝ち取るなど、最近の日本のバスケはBリーグ発足、NBAへの日本人の進出を皮切りに盛り上がってきていると感じます。
この勢いが途切れることなく、欧米の強国に対抗できるレベルに到達して、どんどんアツい試合を観せてくれるようになることを切に願います!!